「おかまちゃん」という言葉にどう対処する?
こんにちは。
洗濯日和の布団干し日和、掃除日和。
カラッとしたいい天気、朝から上記のいろいろに追われるモトコです。
うちの子ども、小学校高学年男児ですが、
もっとちっちゃい頃から、女の子が好むような可愛らしいもの、好きです。
すみっこぐらしのタオルハンカチ、
本人が気に入っている&物持ちがいいということで、今も使ってます。
ピンクのうさぎのマスコットが乗っかった水筒、
毎日学校に持っていってます。
テディベアの習字バッグ、
ハート柄の連絡ノート、など...
「高学年ともなると、そろそろクラスの友達に何か言われるんじゃないか」と思い、
本人に聞いてみたら、
「いまさら、別に」と。
思いのほか、あっさり。
あいつは可愛いもんが好き、というのは
とっくに友達に知れ渡っており、からかうネタでもないというのです。
子ども。
まるで水を吸うスポンジのような受容体を備えている。
シンプルに事実だけを受け取っている。
君らにはわけなくできることが、
大人にはできないんだよ。
義母は、
シルバニアファミリーの家具の並べ替えをする彼をみて
「おかまちゃん」と言います。
「それじゃおかまちゃんだー」と。
死語。
悪気のない、悪意のない、
普段は自他共に認める「良識ある大人」の何気ない一言なのでしょう。
そこが大問題なんだっつーの!!
子どもは「おかまちゃん」発言は聞こえたと思いますが、
気にかける様子はなく。
(意味は「仕草が女っぽい男」くらいな感じで理解している。その辺り、義母と完全に一致してはいないのかも。)
黙々と、家具のレイアウト変更を続行していました。
染み付いた固定概念を払拭するのは容易ではないでしょう。
年代とか、その時の社会通念とかあるだろうし。
仕方あるまい。
基本的に、どんな子どもでも
本人がやろうとすることに「間違い」はないと思っています。
「失敗」はするかもね。
「多様化」という言葉が持て囃されてる。
大きすぎて、私には扱いきれないが。
いろんな人、いろんな意見、言葉があるのはあたりまえ。
そういう中で、どう判断するか、何を選択するか、
私だっていまだに、自分の基準となる材料を持ち合わせていない気がするよ。
だからやはり、
自分の核を作るためには、
周りの雑音をスルーして、何かに没頭するっていう経験もアリなんだと思う。
子どもたちは、大人が思っているより、大人よりずっと
新しいものを受け入れられる素地がある。
(だから残酷な童話も、口当たり良くしないで、オリジナルのまま与えたっていいんだ!)
何も気を揉む必要はないのかも。
おばあの死語を超えてゆけ。
みなさま、良い1日を!