モトコの迷走日記

迷走:定まった道筋・進路を通らず不規則に走ること。

新聞におばあちゃんのことが載っていた。

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8月15日を終戦記念日としているのは

日本くらいですか。

アメリカをはじめとする多くの国は

9月2日だそうです。

 

戦争体験者にとって

それぞれの終戦はいつを指すのか。

 

玉音放送が流れていた頃、

うちのおばあちゃんはまだ満州朝鮮半島にて

本物のサバイバルを決行中で

帰国できたのは翌年1946年。

一括りに決められない、個々の終戦の日があるように思う。

 

地元の信濃毎日新聞

祖母のことが記事になっていました。

(母がLINEで送ってくれた)

母が参加している地元の歴史研究会の仲間ヅテに

そういうことになったそう。

 

リビングでいろんな記録や写真を手にする母の写真の隣に

21歳の祖母の写真。

うちのお母さんの若い頃に似てる!

そっくりすぎて若干気持ち悪かったが

そんなら私の成人式の写真とも似てるかもなw

 

若い時は祖母も可愛らしかったのだなと。

そしてこの娘さんが将来、

孫をいじめたガキ大将を引っ叩くわけですよ。

ばちーん!と。

 

私がうろ覚えでしかない祖母の体験が

細部まできちんとまとまっていて、

とてもクリアになった感じだ。

記者の人に感謝した。

 

取材元は母。

母は祖母の話を

いつからかノートに記録していたそう。

そう、それそれ、

私がやっとけばよかったと思ったやつだ。

母、抜かりないな。

感謝。

 

見出しは

「幼い兄2人 生きていれば...

生前の母から聞いた終戦間際の朝鮮半島逃避行」となっている。

 

祖母と同じような状況で

子どもを亡くした人は少なくないと聞く。

汽車の窓から赤ちゃんを投げたという話も聞いたことがある。

誰がそんなことしたい?

戦争や社会のひずみや、世の中の悪いものはいつだって

一番弱いものへ向かう。

 

記事は母の言葉で終わっている。

「戦争は人間の感情を殺す。

でなければ母は生きて来られなかった。」

 

わかったおばあちゃん。

まずは生きてこそだ。

心が折れたときは

必ずそこに立ち返ることにするよ。