モトコの迷走日記

迷走:定まった道筋・進路を通らず不規則に走ること。

手紙の束がその役割を終えた日

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長野の実家に帰省し、

今日戻った。

こんな状況での帰省はやや後ろめたく。

新幹線は空いていた。

 

2階の自室、クローゼットと棚の断捨離。

もう何も考えずに全て捨てようと思っていたのに

隅に積まれた手紙の束を無視できず。

 

小学校から大学時代まで。

ざっくり時系列。

厚さは20センチを超えるかな。

携帯が普及し出したのは

私が大学2年生の頃か。

デジタル以前。

手紙を書いて投函していた時代。

シビれる。

 

捨てる前にちょっとだけ見てみようか。

断捨離、しばし中断。

 

細かな字でびっしり書かれたハガキがあった。

同じような調子で書いたものがもう1枚重なっている。

2枚目の上には(つづき)と書いてある。

女子校の親友からで

1枚のハガキに書き切ることができず、

2枚目に突入しちゃったやつだ。

本人も当然書いている。

「私バカだなあ。最初っから便箋に書けばよかったよー」

異議なしだ。

だけど、切手をもう1枚余計に貼ってでも

書いてくれたその気持ちに

私は今でも感激している。

 

 

保育園から中学まで一緒で

高校時代は文通していた友達がいる。

恋の悩み、進路の悩み、くだらないことで悩んじゃうという悩み...

悩みつつも未来に向かう女子のエネルギーは眩しい。

彼女の手紙がダントツに多いけど

私も同じだけ書いてたはずだ。

何を書いていたのか、あまり思い出せない。

 

手紙と一緒に年賀状を

ここまで保存してあったのかと自分でも驚いた。

中学時代、私が教室で言ったしょうもないギャグを

「あれ面白かったね、来年もまたやってね」的に数人が書いている。

恐縮です...

 

忘れていた名前と顔が

火花みたいに蘇る。

人間はこれまたずいぶんといろんなことを

忘れながら生きてますね。

 

自分の呼び名が何パターンかあったこと。

その中にまったく由来のわからないやつが1つあったこと。

宛名の私の名前の字が、結構な割合で間違っていること(笑)。

接点なんてほぼないと思ってた人から

「このまえ手紙ありがとね」と返事をもらっていること。

大して会話した記憶のない人から

「昨年は君に大いに迷惑をかけてしまった。いやすまない。てへ。」

と、距離感のつかみにくい年賀状をもらっていること。

卒業して、上京して、近況を伝え合う手紙。

懐かしいクセのある筆跡。

おばあちゃんの手紙も。

「勉強に精を出してください」と。

 

とにかく、

私はこんなにいろんな人から手紙や年賀状をもらうほど

きちんと関わってきたのだっけ?

自分で書いた手紙のことは

ほとんど思い出せない。

私は書くことが好きだし、筆まめなはずだとは思うけど。

断片しか思い出せない。

 

蘇る記憶とともに

完全に忘れてしまったものもあることに気づく。

過ぎゆく時間というのはやはりシビアです。

 

一番下に

小学校卒業間際、

担任の女の先生に書いてもらったメッセージカードがあった。

自分から「一言ください」と頼んでもらったやつだ。

先生は英語の筆記体でちょいちょいっと書いてくれて

当時の私にはなんて書いてあるのかわからなかったが、

クールな先生に尋ねるのもダサい気がして

お礼だけ言って受け取った。

 

今ならわかる。

30年の時を経て、

今なんの妨げも無く

すっと馴染む。

ちょっと違うけど

おそらくはジョン・レノンの引用だということも。

 

そこにはこう書いてあった。

Count your age not by years, but friends.

(自分の年齢を数えてみて。年数じゃなく、友達の数で。)